ル・コルビジェの弟子が作った体育館
ル・コルビジェには3人の日本人の弟子がいた。 前川國男、坂倉準三、吉阪隆正である。師事していた時期は違うが、それぞれが日本のモダニズム建築に大きく寄与した。そのうちの一人、坂倉準三の作り上げた建築物が、上野西小学校の体育館として現存している。
上部の白い部分は数年前の写真などから推測するに、補修か塗り直しがなされたようだが、当初の使い方のままで残っている。1966年に体育館として生まれたものが、2020年も体育館として使われているとすれば、それは尊いことだと思う。
坂倉準三作の校舎は建て替え
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上野西小学校の校舎本体も1962年に坂倉準三が完成させたとのことだが、今は建て替えられ、和風の洒落た建物に切り替わっている。映画に出てくるような、素敵な校舎である。こんな学び舎で過ごした子供時代は、きっといつまでも覚えているだろう。
隣接する旧伊賀市役所の庁舎も坂倉準三作
1960年前後に坂倉準三は伊賀市で公共建築関連のプロジェクトを行っていた。いくつかの作品は取り壊されてしまったが、旧伊賀市役所の南庁舎はいまも体育館の隣に残っている。モダニズム建築の保護団体であるDOCOMOMO JAPANの働きもあってか、現在は伊賀市指定有形文化財に登録され、有効活用について議論がなされている状況だ。
しかし北庁舎に関してはすでに取り壊されてしまっている。上記ストリートビューは2019年11月のものである。一度、2012年4月にタイムスリップしてみよう。
2012年4月の旧伊賀市役所北庁舎
現在駐車場になっている場所に、コンクリート造の建築物があり、南庁舎と接続されていることがわかる。近代建築の重要性が認知され始めたのは、つい最近のことなのである。北庁舎についても保存運動が行われたが、結果的には取り壊されてしまった。多くの市民が、自分たちの住まう場所にどんな宝があるか認知することが重要なのだ。
体育館を近くで見ると
上野西小学校の体育館の話に戻ろう、今回筆者が訪問した際に気づいたのは、体育館の壁に微妙な模様があることだった。
コンクリートに木目である。明らかに木の風合いがコンクリートに刻み込まれている。
現代ではコンクリートパネルと呼ばれる型枠を使って、コンクリート打ちっぱなしの構造物を作っているのだが、それが登場するまでは杉板を型枠として使っていたそうだ。コンクリートパネルを使う場合に比べて技術も手間もかかるそうだが、今でもコンクリートに木目の表情をもたせるために使われている。
先ほどお見せした通り、上野西小学校校舎も木目であるため、全体に統一感が出ていて子気味いい。
おわりに
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坂倉準三の作り上げたまるいコンクリートの構造物は、生徒たちを雨から守り続けてきた。保存される建築・取り壊される建築・改修される建築・二次利用される建築など、私たちは様々な姿を見ることが出来る。
その中で建築家の意図したままに体育館として使われ続けている本建築は、相対的に「生きた建築」といえるのではないだろうか。建築家はその場所にいる人の感情や、地域との関わり、あるいは子供たちの人格形成に至るまで、様々なことを勘案して設計する。坂倉準三の意図が現在にも残っているのだとしたら、取り壊された北庁舎の分も生き続けてほしいと考えてしまう私は傲慢だろうか。
ぜひ坂倉準三が伊賀に残した建築群を訪れてみてください。それでは。