2006~2008年に石黒正数先生が連載していた傑作青春マンガ『ネムルバカ』が2025年に実写映画化。漫画原作を実写映画化したことでどういったところが変わったのかをまとめて、解説・考察する。結果的に関連書籍のPRになっている部分もあるが、これは筆者独自の見解も含むもので公式では無いことに留意いただきたい。
実写映画『ネムルバカ』のあらすじ・概要
2025年3月20日に公開された映画『ネムルバカ』は、私が最も敬愛するマンガ家である石黒正数先生が20年弱前に書き始めたマンガで、原作は1冊で完結する青春モノの傑作。
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— 石黒正数 (@masakazuishi) September 16, 2024
漫画「ネムルバカ」が実写映画化される事になりました。
よろしくお願いします! pic.twitter.com/Hhjv7ZJK9y
監督は『ベイビーわるきゅーれ』の阪元 裕吾氏、会話劇のうまさが本作でもいかんなく発揮されていた。簡単なあらすじはこちら。
まず「冴羽女子寮」というギャグがナンセンスすぎて面白い。これは原作準拠なのだが、元ネタが分からない人はマンガ「CITY HUNTER」を読もう。何者かになりたい大学生たちの、楽しくて緩やかで徐々に自分がダメになっていくようなダラっとした生活を、見事に描いた素晴らしい映画だった。
表題曲『ネムルバカ』をネクライトーキー朝日が作曲
映画『ネムルバカ』の劇中歌でありタイトル曲ともいえる「ネムルバカ」は、原作者・石黒先生が作詞を担当している。世界観を完璧に表した詞に作曲・編曲で参加したのは、朝日(ネクライトーキー)。私はめちゃくちゃ大好きな人だが、皆さんはご存じだろうか。簡単に説明すると、バンド・コンテンポラリーな生活で長くインディーズバンドを続けてきた方で、「石風呂」という名義でナンバーガール以降の邦楽ロックを基調としたボーカロイドの楽曲も作ってきた人。
イントロの硬質なテレキャスターの音も彼が影響を受けてきたバンドたちの影響が感じられる。邦ロックと女性ボーカルの組み合わせが得意で、鬱屈とした切実な感情を乗せた曲を作れる彼らしい。ちなみにファンの方ならイントロの圧倒的な手数で分かるだろうが、ドラムは同じくネクライトーキーのカズマタケイが担当。ギターは突然少年のカニユウヤ、ベースはKANA-BOONの遠藤昌巳が担当している。
そしてボーカルは鯨井ルカ役を演じた平祐奈が担当しているのだが、これちょっと凄すぎない?なんでこんなにカッコよく歌えるのか。映画を観終わった今聞いても胸の真ん中が熱くなるんだけど。
ライブパフォーマンス「脳内ノイズ」
よりインディーズ感が強くプログレッシブな「脳内ノイズ」(こちらも作詞 石黒先生・作曲 朝日)も見事に歌いこなす平祐奈。本当にすごい。そしてピートモスのバンドメンバーとして参加している本職のバンドマン、Gt.儀間陽柄(the dadadadys)がいい演技をしすぎている。ライブハウスの排他的な空気を表現したという、入巣柚実がひたすら苦しそうですごくいい演出。
原作マンガ『ネムルバカ』と映画との違い
さて原作マンガと、実写映画版の違いを少しずつ書いていこう。ただ原作マンガはそもそも1冊で完結するので、自分で確認するのもそんなに難しくない。しかもオリジナル版はKindle Unlimitedの対象だ。もし映画を見て面白かったと思うなら、ぜひ自分で読んで確かめてほしい。
※2025年3月13日に発売された新装版では描き下ろし新作番外篇【オマエノマケ】、幻の番外篇【サブマリン】が収録され、全300Pの大ボリュームになっている。
1.主人公たちの性格やノリの違い
入巣柚実というキャラクターについては、根幹はそのままに大きく演出が変わっているような印象だった。原作通りだと、かなりコミカルでギャグマンガの主人公然としたところがある。これをそのままやってしまうと、面白いひとすぎてファンタジーになってしまう。そのあたりを上手く、現実のダメな大学生っぽくチューニングすることに成功した。阪元監督も京都造形芸術大学に在学していた時に、鴨川に吐いたりしていたそうなので、ダラっとした日々を過ごす大学生の姿を良い塩梅で描けたのだと思われる(男たちがタバコ吸うシーンも川べりだったので鴨川っぽかった)。
そんな柚実を演じたのが久保史緒里さん(乃木坂46)なわけだが、ここまでに役にハマっていることあるのかと衝撃を受けた。酔っ払ってる演技が入巣柚実すぎる。自分の中にあった、漫画原作の映画に出てくるアイドル大体演技ヤバいという偏見が完全に取り払われた。
そして鯨井ルカについては、研ぎすぎたナイフみたいな人で言葉で刺してくる感じだったのが(何なら勧善懲悪!とかいって殴ってきそう)、少しマイルドになっていたような印象だ。原作だとルカ先輩は絶叫しまくるんだけど、そういうのもなかった。これもやりすぎるとマンガっぽくなりすぎるからだと思われる。というかマンガと同じテンションで実写で人に殴り掛かったらバイオレンスすぎて面白い感じにならないからかも、そうして溜めたからこそ謎イケメン・伊藤に飛び蹴りをかますシーンが最高だった。
ちなみに田口と伊藤、柚実の同級生たちはかなり忠実に再現されていたと思う。伊藤を演じた樋口幸平は戦隊もの(機界戦隊ゼンカイジャー)で主演をしているので、本当にヒーローだった時期がある。
2.入巣柚実が寿司を嫌いな理由
原作と全く違う話に改変されていたのが、柚実が寿司を嫌いな理由だ。「幼馴染にホタテを取られて、刺身と幼馴染が嫌いになった」というエピソードは面白かったが、原作では本気でトラウマレベルの壮絶な体験から寿司が嫌いになっている。
ただ、映画の流れの中でそのエピソードを差し込んでしまうと、突然B級スプラッター映画の世界になってしまうので、かなり良い差し替えだったのではないだろうか。マンガとして連載する作品と、2時間弱の映画として世に出される作品の受け取られ方の違いを感じる。
3.ピートモスのメンバーがたくさん登場する
原作ではピートモスのメンバーはほとんど出てこない。プロデューサーに会いに行くシーンも初めからルカ一人だ。しっかりと「脳内ノイズ」でライブシーンが描かれただけでなく、楽屋での無駄話やプロデューサーとの会談時に取り残されるほろ苦いエピソードも全て映画版オリジナルである。ラストシーンで鯨井ルカを見るバンドメンバーたちの姿も映画独自のもので、流れていった時を一瞬で巻き戻すような素晴らしい演出だった。(※実は新装版『ネムルバカ』にはピートモスのメンバーがフィーチャーされた幻の読み切りが再録されている)
4.入巣を「経由」した田口
ファミレスで4人が話し合うシーン。田口が入巣柚実を「経由」して鯨井ルカにアプローチするという面白いフレーズがあったが、これは原作にはない。阪元裕吾監督は代表作『ベイビーわるきゅーれ』でもオフビートな会話劇とアクションシーンの対比で面白さを作っていた。ゆるくて面白い会話は阪元監督ならではの演出だ。
実はかなりのシーンが追加されていて、原作ではここまで会話劇パートは多くない(石黒先生の作る会話劇もめちゃくちゃ面白いが、ここまでの文量ではなかった)。人によっては冗長に感じるかもしれないが、そういったオフビートな会話を浴び続けて、何者かになりたい大学生たちの駄サイクルに観客が浸るからこそ、ルカが引っ越す場面の喪失感が際立つのではないかと思う。
『ベイビーわるきゅーれ』はAmazonプライムで配信中。
5.荒比屋 土倍のキャラクター
ルカをスカウトしに来るOTレコーズのタレント部門担当・荒比屋 土倍は原作マンガではカチッとした中年の男性である。一方で映画版では、少し毒っけのある人物として描かれる(「付き添い」を連呼されてイラっと来た方も多いんじゃないだろうか)。
いいかえると原作マンガでは、インディーズとして自分たちのやりたい音楽をやっていくという路線と、メジャーでタレント的に売り出していくという路線に、大きな善悪の色がついていない。あくまで考え方の違いといったレベルだ。映画ではメジャー側が少し「悪」寄りに描かれている(悪、という言葉が正しいのか分からないが)。
これは鯨井ルカの最後の選択を、観客が素直に肯定できるように設けられた導線のように感じた。この導線が無くプロデューサーたちが善良で熱意を持った大人として描かれると、ラストのカタルシスに至れない人(社会人目線で見た時に、ルカをただの迷惑な人としかとらえられなくなる人)が出てきてしまう可能性があったんじゃないだろうか。
6.諦める鯨井ルカのシーン
原作マンガでは、ルカの引っ越しの日の飲み会のシーンで、酔いつぶれた柚実が「新曲」を歌うシーンがある。ルカは「新曲」を録音しようと少し動きかけるが、今後自分が作曲に力を入れる必要はないことに気づき、結局録音をしない。夢を叶えたと同時に、追いかけていた夢を諦めたことをわずか4コマで表した名シーンなのだが、表現としてハイコンテクストすぎるのか映画版には盛り込まれていなかった。
その代わり、映画版では「ネムルバカ」をルカと一緒に夢の中で歌っていた。これはラストの演奏シーンで柚実が歌うことに繋がる伏線として機能しており、美しい改変がなされている。
7.ファスト映画、スイカゲーム、ネット広告
原作が連載されていた2006年~8年にはなかったものではないだろうか。ファスト映画は、映画監督としてのちょっとした復讐もありつつ、名演で作品を彩ったロングコートダディ兎演じる仲崎先輩に与えられた、原作にはない「オチ」だった。
最初に柚実がスイカゲームをやっていた時は(解釈違いで)ちょっとヒヤッとしたが、人生で一番どうでもいい時間のような気もして面白かった。
そしてネット広告のうざさを伏線にして、そのしょーもないネット広告に鯨井先輩が出てきてしまうという皮肉な状況を描いた展開がすごく胸に刺さった。原作では単にビッグになっていく先輩だったが、居酒屋で聞き流されるBGMとか、うざいネット広告に現れることでラストの演奏シーンに向けた観客側のフラストレーションを醸成していったように感じる。
8.鯨井ルカの家族
原作マンガ『ネムルバカ』には鯨井ルカが実家に帰るシーンがある。その実家である岩崎家の様子が描かれているのが石黒先生が書いた『響子と父さん』である。響子はルカのお姉さん、父さんはルカの父でもある。時系列としてはルカ失踪後の家族の様子を別の視点から描いた物語だ。こういった家族のシーンは映画の尺の中に入れきれなかったのかカットされていたので、是非マンガで確認して欲しい。
ちなみに鯨井ルカは偽名で、実際は岩崎春香という名前であることが分かる(母の旧姓が鯨井であることが示唆されている)。春香(ハルカ)からルカと取ったのだろう。
父さんのキャラクターが最高な『響子と父さん』はKindle Unlimitedに登録していたらサービス内で読むことも出来る。
9.鯨井ルカの最後のセリフ
鯨井ルカはライブシーンの終わりに、入巣に向けて「元気でね」とつぶやく。マンガ版では、「最後に先輩が私に何か言ったように見えた」と書かれているシーンで、セリフは本編中で明示されていない。ただ、実は『ネムルバカ』の最終話である第7話のタイトルは「ゲンキデネ」なので、実は何を言ったかは読み込むと分かるようになっている。その点を踏まえてセリフに落とし込んだことには、愛を感じた。
そしてこの別れの言葉のとおり、2人はもう出会うことは無かった
愛おしいまでの原作準拠
ここまで色々と重箱の隅をつつくような違いを取り上げてきたが、結局のところ導入から結末に至るまで、大きな違いはなかった。この事実が本当に愛おしい。石黒先生は阪元監督に「好きなように撮ってほしい」と伝えたにも関わらずだ。
映画というのはハッピーエンドで終わるべきとされている。古い例で言えば『マイフェアレディ』が、最近で言うと『君の名は。』なども、映画制作にあたり結末がハッピーエンドに書き換えられた作品として知られている。これは結末がハッピーエンドかどうかが、興行収入に直結するとされているからだ。ハッピーエンドだからこそ「全員」に届く。逆にハッピーエンドじゃなければクソ映画とか言い始める人もいるようなレベルだ。
でも『ネムルバカ』は「全員」ではなく「お前」に届けることを、鯨井ルカという表現者が選択する物語だ。だとしたら、この物語だけはハッピーエンドに書き換えさせてはいけない。物語の変更を迫る商業主義的なモノから、守られなければならない。
きっと作る監督によっては鯨井ルカと入巣柚実の再会で物語を終わらせたり、ピートモスの再結成などの前向きな形に結末を改変する可能性もあっただろう。でもそうならず、「鯨井ルカの失踪」に「音源を通じて柚実がルカに思いを馳せる」場面を加えるという結末に着地した。原作マンガよりはすこし前向きな結末だが、ほとんど変わっていないと言っていい。
かつて、ここまで原作に寄り添ったマンガの実写映画化があっただろうか。少なくとも私が今まで見た中では一番、原作を理解して映画を作りこんでいたように感じた。そしてこの映画がもしこけてしまった場合は、この結末を選択したことによるそしりを、監督が受けざるを得ないだろう。一度こけるとスポンサーがつかなくなり、次の作品が撮れなくなってしまうリスクもある。
そんなリスクを背負ってでも、作られたハッピーエンドではなく、原作に準拠した「失踪」で物語を終えた監督を含めクリエイターの方々に賛辞を送りたい。だからこそ、この物語を商業主義的に失敗させるわけにはいかないのだ。
おわりに
そもそも『ネムルバカ』が示唆することはなにか。自分の耳で音楽を探してくれる人がたくさんいたなら、鯨井ルカは自分の夢を捨てる必要はなかった。だとしたら、この映画『ネムルバカ』が商業的に成功することは、物語中に起こった悲劇に対するカウンターになるだろう。
少しでも自分が作品に対して感じた「良い」を、自分の周りの人たちに伝えていくこと。結局観客が出来ることはそれしかないのだ。でもそれが積み重なることで、鯨井ルカが失踪しなくても良い世界が、必ずしも映画がハッピーエンドで終わらなくても良い世の中が、出来ていくのだと思う。映画は(音楽は)受け手である観客の求めに応じて姿を変えていくのだから。
私はこの愛おしい原作準拠の結末を守りたいと思って、それでこの記事を書いた。あなたはどう感じたか、あなたの受け取ったものをまずは周りの人たちに話してみてください。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
余談
完全に余談なのだが、鯨井ルカと入巣柚実はほとんどそっくりなキャラクターがいる。それが石黒先生の代表作「それでも町は廻っている」の紺双葉と嵐山歩鳥である。見た目と性格、関係性までそっくりだ(最も歩鳥は明確な目的を持って行動する人物だったりするのだが)。
実は入巣柚実(イリスユミ)は主人公の名字・嵐山(アラシヤマ)を一文字ずつづらしたものになっていて、小ネタをたくさん仕込む石黒先生らしい。
こちらも日常系SFの大傑作なので、もしよかったら読んでみてほしい。
また同じ石黒先生の作品として『木曜日のフルット』も11巻まで出版されている。定職につかずギャンブルばかりしている「鯨井先輩」という主人公が登場するのだが、これはもしかして『ネムルバカ』の結末の先の…?とおもわせつつ、実際には見た目と苗字が同じな別人。というか『ネムルバカ』の鯨井ルカが偽名。
石黒作品はそれぞれが小ネタなどで繋がっており面白い。ぜひチェックしてみてほしい。