秋晴れの京都、百萬遍知恩寺では古本市が開催されていた。
貴重な本から激安セールまで行われている大きな古本市で、もっぱら俺の狙いはセールの方だった。こういう場合、大体5冊まとめて300円とか、10冊で500円とかの組み合わせで安くなるので、結局いらない本も買うことになるのだ。
その日は順調に買いたい本が見つかっていったが、あと1冊がどうしても見つからなかった。そんなときに飛び込んできたのは青地に白抜きの帯。
ほほう、そそるうたい文句じゃないか。買いたい本は見つかりそうもないし、もうこれで行こう。こうして勢いで買ってしまい、そのまま本棚の肥やしとなってしまった。ここまではいつもの流れだ。
そして先日、この本を再発見し読んでみることにした。しかしその内容は、期待したものと大きくかけ離れていたのだった。
性の源を探る/樋渡宏一
これゾウリムシの研究書やないかい!
しっかりとサブタイトルに「ゾウリムシの世界」と書かれている。なぜかスルーしていた。姑息だぞ岩波書店。しかも初版だったので、俺の怒りは1986年の担当者に向けられた。時を超えて届くだろうかこの想い。
ただ損しただけでは悔しいので、読んでみることにした。この巡り合わせが無ければ絶対に手に取らなかった本なのだから。そして自分は絶対に興味が無いと思っていた理系の本が、意外と面白いのだった。その内容について軽く紹介したい。
性別とは何か
これはゾウリムシの研究に生涯を捧げた樋渡宏一(ひわたしこういち)が、自分の半生を振り返りながら「性別とは何か」を探っていく本だ。性別ってそもそもなんのために分かれているのだろうか。「生殖のためにある」と思いがちだろう。しかし性別が無くとも様々な方法で、生物は自分の子孫を生み出す。
分裂する生き物もいれば、ジャガイモのように単体で増えまくるものもある。そしてゾウリムシの仲間には性別が4種類とか8種類とかあるものがいるそうだ。
だから性別は生殖のためにあるわけではない。では何のためにあるのか。それを比較的単純な構造を持ちながらも、人間同様に体細胞と生殖細胞が分かれているゾウリムシから探っていこうとする。
半生を振り返る
正直、研究書を読むなら、出来る限り最新のものを読んだ方が良いだろう。1986年からは多くの知識がアップデートされているはずだ。しかしこの本は、ゾウリムシに没頭した研究者の回顧録として面白い。
この樋渡宏一という人、俺の中の研究者のイメージからは乖離してかなり人間臭い。カエルやウニだと育てるのが大変だからという理由で、ゾウリムシを研究対象に選んだ人なのだ。戦後にようやく研究を始められるようになった彼が、ほとんど資料の無い当時の日本や、海外のゾウリムシ研究者たちとの切磋琢磨、そして自らの最大の発見を振り返る。当時の状況を語る、コミカルかつ上品な文体は好感が持てる。
ロマンチックな生殖
この「性の源をさぐる」で学んだゾウリムシの生殖は非常にロマンチックである。多くの生き物はフェロモンを出し、いわば性の前戯をするわけだが、ゾウリムシは決してそんなことをしない。
たまたま衝突した相手がパートナーだ。
この行き当たりばったり感、逆に運命を感じて良い。心なしか体内のパーツもフォトジェニックだ。なんとゾウリムシは、偶然ぶつかった相手と繊毛を絡め、口を合わせてお互いの細胞を送りあう。熱い抱擁からのディープキスだ。
しかもこの繊毛が絡む現象、腹側でしか起こらないらしい。
腹側ってなんだよ。どっちだよ。
本来は頭の方へ進むのに、ある成分を加えると後ろ側に進む実験結果も紹介されていた。だから後ろはどっちだよ。こんな風に色々と知らない情報と出会えて面白い。
ちなみにゾウリムシは若返ることが出来るのだが、これを樋渡宏一は「回春効果」と名付けている。やはりロマンチックだ。
おわりに
途中にはミクロの世界での戦い(生きて動くゾウリムシに注射をする練習、繊毛だけを分離する努力など)が描写される。今ほど技術が進歩していない生物学の現場で行われていた苦闘が感じられてドラマチックだ。これぞミクロの決死圏。
そしてラストに、性別が結局何のためにあるのかということについて書いてあるのだが、これは大ネタバレになってしまうのでここには書かないでおこう。古本市でこの本に出合わせてくれた、1986年に帯の文章を考えた人に感謝したい。それでは。